ポルトガルでの日々の記録
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普通分娩だった私は、48時間病院に入院してその後家に帰ることができました。小僧の時は帝王切開だったため、傷口が痛くてなかなか思うように子育てを始められなかったので、普通分娩なら大丈夫だと思っていたのですが、これがかなり大変でした。


出産した日は朝から何も食べていなかったし、分娩室の個室にいた時も水も飲めず、ただ口を水で塗らすくらいしかできなかったので、出産後はとにかくお腹がすいて、病院の夕食に間に合うかなあとそればかり考えていましたw 看護師さんがとりあえずとお茶とマリークッキーを持ってきてくれたのですが、これだけでは足りず、やっと一般病棟に移されて夕食を運んで来てもらった時には、もう慌てるように食べました。写真のことはすっかり忘れてしまっていましたが、私の好きなマッシュポテトに温野菜、白身魚のソテーでなかなかおいしかったです。

パイと小僧、3兄の妻と娘が夜の9時前までいてくれたのですが、みんなが帰ったあとからが地獄でした。麻酔が切れはじめ、縫合した部分の痛みがだんだん出てきたのです。とにかくどんな姿勢でも痛みを感じ、痛み止めの薬をお願いして飲んだのですがぜんぜん効かず。夜中の12時ごろにヘルパーさんと看護師さんが一緒にシャワーを浴びるのを手伝ってくれたのですが、とにかく歩くたびに激痛が走り、泣きそうでした。そのあと氷を持ってきてくれて充てていたのですが、結局その日の夜は痛みでほとんど寝られず。そんな私の代わりに看護師さんたちが次男にミルクをあげてくれたり、時間になったら用意してくれたりして助かりました。


小僧の時の入院は、いい思い出がありませんでした。不愛想なヘルパーさんがいて、おまけに頼んだミルクを小僧が半分しか飲まず、そのままにしておいたら、それをヘルパーさんが看護師さんに言いつけ、2人がかりで私に「全部飲ませないとダメ」と注意され、一人病棟で泣いた思い出があるのです。産後はホルモンバランスがくずれ、小さなことでも泣き出してしまうくらい感情が乱れることがあり、私はそれを小僧の時に経験しました。退院後家に帰って、キャンディの目のまわりが目ヤニで汚れているのを見て、パイに「なんでケアしてあげないの」と泣いて怒ったり、フランが私が食事を取り上げると勘違いして軽く手を噛んだ時も「噛まれた」と泣いたりしたのですが、今回は全く感情が乱れることがなく、泣くこともありませんでした。看護師さんやヘルパーさんもとても優しく、世間話をしてくれたり、進んでミルクをあげてくれたり、穏やかに過ごすことができたこともあるかもしれません。次男もとてもおとなしく、ほとんど泣くことがなかったので助かりましたが、とにかく私はずっとお股の痛みと闘っていたのでした。でも不思議なのは、他のママたちは全然平気そうに普通に歩いたり、産後問題なさそうだったことです。会陰切開をしなかったからでしょうか?私だけ普通に歩けず、苦しんでいた感じでした。


産後の痛みと闘っている中で、唯一の楽しみはやっぱり時間になると食事やスナックを持ってきてくれることでした。家で毎食事の料理をしている私にとっては、贅沢な時間に感じました。

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2日目の夕食 豚肉とピーマンの串刺し・パスタ・キャベツ・スープ・りんご


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3日目の昼食 ひき肉と豆・ライス・温野菜・スープ・フルーツサラダ


最後の食事だったひき肉と豆の料理だけはまずくてほとんど食べられませんでした。。。

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実は出産予定日は11月22日だったのですが、この予定日は結構疑わしいものでした。というのも、最後の月経から換算していて、その日にちは私の自己申告だったこともあり、私の記憶が正しくなければ予定日も狂ってくるわけです。エコーなどをチェックして正確な日にちを出してくれるのかと思ったら、そのまま予定日は変わらず。おまけに今回は出産する病院での検査は予定日の5日前にだけ入っていたので、経過もわからずじまいでした。なので入院の支度などなるべく早く準備をしていました。

出産の少し前から胸の痛みを感じたり、妊娠中にはなかった弱い生理痛をときどき感じるようになったので、出産は近いと思うとパイには話していました。そして出産の一日前の11月1日の午後におしるしらしいものが出たので、もう間近だと確信したのですが、その色は薄茶色だったので半信半疑でもありました。とりあえずいつでも病院に行けるようにお風呂にゆっくり浸かって様子を見ることにしたのです。

その日の夜から、少しずつ陣痛かと思われる痛みが出てくるようになりました。寝ている小僧を起こして病院に行かなくてはならない面倒もあってせめて朝まで待ってみようと思い、夜中はときどきやってくる痛みに耐えつつ過ごしたわけですが、その痛みの間隔がときどきから15分おき、10分おきと短くなっていき、朝方には5分おきになっていたので、小僧を学校に送ってからパイと一緒に病院に行ったのでした。

病院の緊急に行き、すぐに産科にまわしてもらってまず看護師さんが手で赤ちゃんの位置を確認しました。「今日赤ちゃんが出てきますか?」の問いにSimだったので、とうとう生まれるんだと覚悟しました。この時もうすでに子宮口が5cm開いていたので、先生がすぐにやってきて再びエコーと手で赤ちゃんの状態をチェックしてくれました。前回は帝王切開だったのでどうして帝王切開だったのかと聞かれました。今回は普通分娩になるかとの問いに、普通分娩になるようにしますが、問題があれば帝王切開になりますと聞いて、今回は赤ちゃんが通るべき産道を通って生まれてきてくれるかもしれないとうれしく感じたのです。これから分娩室のほうに移って麻酔をかけると説明を受けたのですが、今起きている陣痛にまだ耐えることができると先生に言ったら、思いもよらない返事だったのか目を丸くしていました。麻酔の効き目が帝王切開の時は短く感じたので、今麻酔をかけて出産まで効いてくれるのかどうかという余計な心配をしたことからそう言ったのですが、実際は麻酔を脊髄に注射したあとも点滴で麻酔を体に投与し続けていたので心配ご無用だったのです。

結局午前9時ごろから分娩室の中の個室で子宮口が10cmまで開くのを待ち続けました。麻酔をかけてからは陣痛も感じないのでただただのんびりとベッドに横たわっているのみ。1時間ごとくらいに看護師や先生が手で赤ちゃんの位置を確認し続け、それは夕方5時ごろまで続きました。そして、いよいよ分娩室へ。


麻酔のおかげで痛みも何もないので、分娩室に入っても恐怖はありませんでした。看護師さんからう〇こを出すように力むのよ、と言われていたものの、何しろ麻酔でひざまで麻痺しているので、なかなか力むのは難しかったです。1,2,3みたいな掛け声をかけてくれるかと思いきや、いきなり「Puchar」(押して)と言われて慌てて力む状態w 4,5回力んだあとで、無事に次男が生まれたのです。でも出てきたとき、なぜか直視できませんでした。「かわいいわー」と言いながら看護師さんが体をきれいに拭いているのを見てやっと赤ちゃんを見ることができました。そして取り出してくれた先生を見てびっくり。赤ちゃんが勢いよく出てきたのか、先生の顔や服は返り血を浴びたような状態でした。30代くらいの若い感じの先生でしたが、その状態を見て「かっこいい仕事してるなあ」と感心してしまいました。そのあと会陰切開をしたのか縫合をしている間に、私は赤ちゃんをケアしている看護師さんに「赤ちゃんの顔はもっと日本人顔ですか?それとももっとポルトガル人顔ですか?」と聞いたらそこにいた先生や看護師さんみんなが笑っていました。そんな私面白いこと言ったっけ?という感じでしたが、看護師さんが「ミックスよ」と言ってくれました。


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分娩室の個室には家族などが入れたのでパイも少しの間いたのですが、意外と怖がりで看護師に出産に立ち会いたいか聞かれたら断ったようです。時間になったら小僧を学校へ迎えに行ったあとは一度家に戻っていたのですが、3兄の妻からの電話で出産したことを知り、すぐに来て次男と対面したのでした。小僧は初めて見た弟に戸惑っていた様子で、触ることもできなかったのです。


小僧の妊娠生活はとても楽なものでした。つわりに苦しむことはなかったし、今思えば気持ち悪いなあという感覚が少し出ただけだったように思います。辛いと感じた症状もほとんどなかったからか、今回も楽だと思っていたら、全然違いました。


これがつわりか、というくらい気持ち悪さと吐き気がよく出ました。空腹になると一番つわりが起き、だから無理して食べていたわけですが、満腹になってもつわりが起きるという状態でした。だから、こまめに食べ物を口にして腹八分目をキープするようにしていました。飲み物もカフェインを摂らないようにしたり、魚の種類に気を付けたり、生ものは摂らないようにするなど気を使っていました。小僧の時と同様にフルーツがおいしく食べれるようになっていろんなフルーツを食べていました。特にりんごジュースがお気に入りで鬼のように飲んでいました。逆に鶏肉の煮込みパスタをはじめとする何種類かの料理は臭いで吐き気が出ました。


ポルトガルでは、妊婦は胎児の染色体の検査をするのですが、ある一定の年齢までは血液を採取して調べますが、ある一定の年齢を超えると羊水を採取して調べます。お腹に針を刺して羊水を採るのは恐怖を感じましたが、お腹の脂肪があるせいか痛みもなく針を抜くときだけ皮膚を引っ張られる感覚があっただけでした。この羊水検査は流産のリスクもあるようで、そのためか2日間はトイレと食事以外はベッドにいて動かないようにと言われました。その後の結果で胎児に問題がないことがわかり、この検査で男の子ということも判明したのでした。


4か月に入るとやっとつわりもおさまり、ますますよく食べるようになりました。定期検査で胎児が小さいと言われたこともありましたが、私からすれば小僧の時よりお腹が大きくなっていると感じました。2人目のほうがお腹が大きくなると聞きましたが、空腹になるとつわりが起きるので、良く食べていたせいかもしれません。そして、そのつわりの終了と入れ替わるように起きたのが右胸下の痛みです。これは小僧の時にも起きましたが、今回はバーションアップして痛みが激しかったです。立っている時より、ソファーや椅子に座っていると起きるのでした。寝ていても痛みで起きることもあったり、この痛みがときどきから、最後の1,2か月はほぼ毎日起きていました。そしてよく寝ている時に胸まわりに大量の汗をかいていました。それから足もよくつりました。足まで伸びをするとつってしまい、その都度30秒くらい激痛と戦わなくてはなりませんでした。歯を磨いていて指がつることもあったのです。


出産まであと1ヶ月くらいの時には、恥骨痛や腰痛が起きました。歩くのもしんどくなっていました。右胸下の痛みも続き、その痛みはときどき針を刺されているような痛みにも代わって起こりました。心配していた前駆陣痛が起きなかったのが幸いでした。いつどこで起こるかわからないので、なるべく外出を控えていたほどです。出産する夢もときどき見ました。そのくらい出産のことを考えるとナーバスになっていたと思います。


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夏休み中に小僧が私とお腹にいる赤ちゃんの絵を描いてくれました。ときどきお腹に耳をあてて何か聞こえるかどうか試したり、いつ赤ちゃんが出てくるの?とときどき聞いてきたり。早い段階でもう名前を決めていたので、小僧は弟の名前をお腹に向かってよく呼んでおりました。

私がもう一人子どもを授かって育ててみようと決心するまでには、ずいぶんと時間がかかりました。小僧の子育ては決して楽ではなかったので、もう一通り同じことをするのかと思ったら、もう小僧1人で十分じゃないかとずっと思っていたのです。ところがパイは違いました。子どもがもう一人欲しいとときどき私に言っていたのですが、さらりとスルーし続けていたのです。私が首を縦に振らないのを知ってか、独り言のごとく言うくらいでしたが、去年小僧の保育園のお遊戯会で同じクラスメイトの家族に赤ちゃんが生まれ、それを見たパイは、いたたまれなくなったのか、それ以降私に説得を始めたのです。


「もし小僧が先に死んでしまうようなことがあったとして、(私が)もう子どもを産めない歳になってしまったら、僕たちに何も残らなくなる」とパイが言ったのです。そんなこと考えたくはなかったのですが、確かにもう一人いれば違うとは思いました。小僧に兄弟がいるほうがいいのはわかっていたものの、なかなか決心がつかなかったのには、パイの態度にありました。


ポルトガル人は家事は女性がするもの、という考えがあり、男性は家事をしないのが典型的です。今では少しずつ考え方も変わってきているのかもしれませんが、パイはいわゆる典型的で、掃除はできますが、料理は一切作れないし、普段家事はしません。そんなパイは、小僧が生まれた時、育児に消極的でした。よく泣く子でもあったので、夜中に寝れないとイライラし、私にまで八つ当たりをするような言動をすることがあったので、子供がもう一人欲しいと初めて言ってきた時は「冗談じゃない!」と言ったほどです。だから、子供が欲しいなら、育児に協力的になること、「赤ちゃんはいろんなことを泣いて伝えるしかできないこと」という当たり前のことをパイに言い聞かせ、その泣き声に怒ったりするような筋違いなことは絶対しないことを約束させ、私はとうとうもう一人産む決心をしたのでした。


以前主治医から「子供が欲しいと考え始めた時は、一度話し合いましょう」と言ってくれていたので、予約をとって主治医に会いました。高齢出産の域に入ることもあってか、まず3か月間は処方してくれた薬(ビタミン剤?)を飲むようにして、その間は子作りをしないで妊娠しやすい体を作ることから始まりました。生肉や生野菜も食べないようにと言われました。慢性胃炎の薬を飲んでいたのですが、それは胎児に影響がないのか、妊娠前から妊娠後でも飲んでも大丈夫とのことでした。そして数か月して、歯の全体が痛くなる感覚を覚えたり(胎児がカルシウムを摂取しようとしているため?)吐き気が出てきたので、再び主治医に会いに行って尿検査をその場でしてもらったら、妊娠していることがわかりました。



11月2日に次男が産まれました。


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もう高齢出産の域に入っていたことだったり、心配事もいろいろあったり、小僧の時より妊娠生活が辛かったりでなかなかブログでも妊娠していることを言えずにきておりました。


今はとりあえず無事に産まれてきてくれてほっとしています。少しずつ妊娠生活から出産までのことなどをこれから書いていきたいと思います。


ブログでの次男のニックネームはどうしよう。。。